令和になった今こそ行きたい、回天の島 大津島
連休を利用して前から行ってみたかった大津島に行ってきました。
瀬戸内海に浮かぶのどかな島ですが、70数年前には家族や恋人など大切な人を守るために厳しい訓練を繰り返し、一撃必死の特攻兵器で出撃していった若者たちが過ごした島でした。
大津島とは
大津島は山口県周南市の沖合10kmに浮かぶ小さな島で、もともと大津島と馬島という2つの島でしたが400年前につながって一つの島になりました。
アクセス
①JR徳山駅から徳山港フェリー乗り場まで徒歩5分
②徳山港から馬島港までフェリー44分・高速船18分
※時刻表・料金等はこちらのサイトへ⇒(大津島巡航時刻表)(運賃表)
鬣山に登ってみた
地図を見てみると高いところからの景色を楽しめそうな場所があったので行ってみることに。
魚雷見張所跡へ
登山道は階段状に整備されているため比較的歩きやすいです。
途中の休憩広場からは島南部の馬島方面の景色が堪能できます。
麓から約10分で魚雷見張所跡に到着します。大津島には回天基地が設置される前にすでに九三式魚雷の発射試験を行うための整備工場があり、この見張所からは宇部沖に向けて発射される魚雷を観測していたようです。
展望広場からの景色
魚雷見張所跡から数分で頂上の展望広場に到着します。頂上には「未来の風」と呼ばれるモニュメントがあります。
頂上からは徳山港方面の工場地帯の煙突が見えます。
回天記念館
回天とは?
太平洋戦争末期に海軍で開発された特攻兵器で、魚雷に乗員スペースと操舵設備を設けたことから「人間魚雷」と呼ばれていました。元々魚雷発射試験施設があった大津島に回天の基地が設置され、全国から多くの若者が集まり、訓練を受け出撃していきました。
この基地から敵に向けて直接回天で出撃するのではなく、潜水艦(伊号)に搭載して敵の近くまで向かい敵を発見したところで回天に搭乗、発進していました。
途中で敵艦からの爆雷攻撃による損傷や故障により、発進ができなかったことも多かったようです。
回天については2006年公開の「出口のない海」で描かれているので気になる方は見てみてください。
回天記念館へ
整備工場や工員宿舎や兵舎があった場所には小学校が建っていますが既に閉校しています。ここには外部から機密を守るための壁や危険物貯蔵庫、点火試験場の跡が残っています。
しばらく歩くと回天記念館に到着します。回天記念館には回天に関わる遺品や資料が展示されているほか、回天の歴史や時代背景、当時の生活などをパネル展示で分かりやすく紹介しています。
記念館入り口横には回天一型のレプリカがあります。
回天記念館(周南市の公式サイト内)
開館時間 | 午前8時30分~午後4時30分 |
休館日 | 毎週水曜日(水曜日が祝日の場合はその翌日)及び年末年始(12月29日~1月3日) |
入館料 | 大人:300円 団体(30人以上):240円 ※18歳以下の学生、幼児は無料 。 ※身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳所持者は免除 |
住所 | 〒745-0057 周南市大津島1960 |
地図 |
今も残る関連施設
整備工場で整備された回天はこのトンネルを通って訓練基地まで運ばれていました。トンネル内は安全上の観点から路面に手を加えられていますが、側面や天井は当時のままです。
訓練は危険を伴い、訓練中の事故で多くの方が亡くなっています。
まとめ
今は人も少なく静かな島ですが、70数年前には困難な時代を必死に生き、愛する人や家族を守るために命をかけた人々が確かにいたのです。この戦争や特攻兵器についてはいろいろな考えがあるかもしれませんが、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
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